小田さんのライブ。
一番最初に行ったのはいつだったかなぁ。。。
多分、1980年の「OFF COURSE」の「OFF COURSE CONCERT LOVE」というツアーだったと想う。
正直な所、私世代の音楽ではなかったのだけど
姉が持っていたアルバムを一緒に聴き始めてあのガラスのような透明な「声」に惹かれ一気にオフコースファンになっていた。
ピアノを弾くちょっと神経質そうなロマンスグレー。
小学校の頃の好きな俳優が山崎努と根津甚八だったおませな私のストライクゾーン。
まあ、ちょっとワイルドさに欠けていましたがなんだかビジュアルも好きだったf^^;
未成年バリバリの私は姉とライブはいつも一緒に観にいっていた。
「さよなら」が爆発的にヒットした後だったので場所はすでに武道館。
私の初ライブデヴューは親に連れて行かれたちあきなおみ。
多分幼稚園くらい?
自発的に行こうと想ったのはオフコースのそれがはじめてだったかも。
その後のオフコースはもちろん、ユーミン、甲斐バンド、YMO。。
後に洋楽もかなりハマったので「ベストヒットUSA」で放映されたアーティストのライブは可能な限り何本も足を運んだ。
もちろん、そう簡単に手に入るチケットではないのだけど、当時父の仕事や姉の仕事関係等で少しばかり環境に恵まれていてこの手の音楽に関しては早熟な時期から「生」で観るようになっていた。
今となってはその環境に感謝するばかり。
10代前半で知ったオフコースから早いもので今や私も立派なアラフォー。
小田さんはずっと現役で音楽を続け
私が小田さんの楽曲を聴かない時期もヒットを飛ばし続けていた。
私はと言えば仕事に忙しく音楽をプライベートで楽しむことが極端に少なくなっていた。
2008年
東京ドームでライブを行うと知ってなんだか懐かしくなり久々に小田さんライブに行った。
周りを観ると少しばかり私より上の人が多かったかも。
でも家族連れだったり若いカップルも多くずっと現役で活躍してる小田さんの凄さをこの時あらためて感じた。
私もすでにアラフォ世代。小田さんはその20年も上。
あと何回この歌声を聴けるだろうと想い、、そこから小田さんファン復活。
いちばん私がピュアだった時代の歌を聴いた瞬間、無条件に涙が止まらなかった。
まだコンサートで泣ける気持ちがあった私にもちょっと驚いた。
何しろ、1982年の伝説の「OVER」のツアーの時も1曲目から泣いてたので条件反射かと想うくらい。
時は過ぎ
いろんなコネを使うことも出来ずf^^;通常チケットを買ってみたドームのライブは小田さんは米粒状態。それでも、沢山の人を満足させようと頑張った60代前半の小田さんは足を骨折した状態でライブをしてくれ益々応援したくなった。
2011年のライブも東京ドームに観に行き、そして、昨日「どーも、どーも その日が来るまで」の最終追加公演を横浜赤レンガの特設会場まで観に行ってきた。

人生初のステージから近い席。
一緒に行っている主人をよそにかなり舞い上がって喜んだのは内緒ですf^^;

そして、なんと小田さんのライブでサイリウム?!

これは小田さんたち演者の人には内緒の演出で進められたものらしくアンコールまでずっとひた隠しに隠しておりました。
ライブが始まり、円形のステージはどのサイドの観客からも観られるように回るは、十字に作られた花道をあちらへこちらへと走るは、途中、心配になるくらいファンサービスに励んでくれておりました。野外ならではの演出も素晴らしく、シャボン玉を飛ばしたり、花火を打ち上げたり。
ステージから近い席で観られたのはラッキーだったけど、花道で小田さんからマイクを手渡され一緒に歌を合唱するというこのライブならではの醍醐味は未だ未経験。いや、イザ目の前にきたら絶対に緊張で歌えないとは想うけれど、、、とても近くで小田さんがファンに接しているのが解る演出を観る度にオフコース時代の小田さんとは違って、随分と丸くなったなぁ。。。と感慨にふけるわけです。
因に、このツアーの本当の最終公演の地は福島でした。
昨年行けなかった東北のツアーを今年ずっと周り、「その日が来るまで」という楽曲を届けたそうです。
この「その日が来るまで」という歌をこの日3回、老若男女心をひとつにあの地へ届けとサイリウムをふりながら会場で合唱。
この歌も大変いい歌でしたが、
私は1980年に紡がれた「生まれ来る子供たちのために」という歌がまるで今の日本の事を歌っているようでかなり心に刺さりました。
当時33歳の小田さんがどんな想いで創ったのかは想像も出来ませんが
私たち大人が生まれ来る子供たちのためにこれから何を語れるのか。
これからが試される。
そんな気持ちでいっぱいになっています。
最近、ライブや映画を観て感じることが沢山あります。
まだまだ、感情の泉は枯れないし枯らしたくないと強く想って赤レンガを後にしましした。
どうか、小田さんがまだまだ元気でいてくれますように。
もちろん、頑張りすぎないで欲しい気持ちもあるのですが。。。
来年も楽しみにライブ待ってます!
お留守番の多かったアーちゃんず
もうお出かけしないで〜と主人に寄りかかるアポロと

行かせなわよと私の鞄の上でスネスネモードのアテナf^^;

いったいいつになったら大人の階段昇るかにゃ〜?
本日もぽちっとよろしくお願いします!



一番最初に行ったのはいつだったかなぁ。。。
多分、1980年の「OFF COURSE」の「OFF COURSE CONCERT LOVE」というツアーだったと想う。
正直な所、私世代の音楽ではなかったのだけど
姉が持っていたアルバムを一緒に聴き始めてあのガラスのような透明な「声」に惹かれ一気にオフコースファンになっていた。
ピアノを弾くちょっと神経質そうなロマンスグレー。
小学校の頃の好きな俳優が山崎努と根津甚八だったおませな私のストライクゾーン。
まあ、ちょっとワイルドさに欠けていましたがなんだかビジュアルも好きだったf^^;
未成年バリバリの私は姉とライブはいつも一緒に観にいっていた。
「さよなら」が爆発的にヒットした後だったので場所はすでに武道館。
私の初ライブデヴューは親に連れて行かれたちあきなおみ。
多分幼稚園くらい?
自発的に行こうと想ったのはオフコースのそれがはじめてだったかも。
その後のオフコースはもちろん、ユーミン、甲斐バンド、YMO。。
後に洋楽もかなりハマったので「ベストヒットUSA」で放映されたアーティストのライブは可能な限り何本も足を運んだ。
もちろん、そう簡単に手に入るチケットではないのだけど、当時父の仕事や姉の仕事関係等で少しばかり環境に恵まれていてこの手の音楽に関しては早熟な時期から「生」で観るようになっていた。
今となってはその環境に感謝するばかり。
10代前半で知ったオフコースから早いもので今や私も立派なアラフォー。
小田さんはずっと現役で音楽を続け
私が小田さんの楽曲を聴かない時期もヒットを飛ばし続けていた。
私はと言えば仕事に忙しく音楽をプライベートで楽しむことが極端に少なくなっていた。
2008年
東京ドームでライブを行うと知ってなんだか懐かしくなり久々に小田さんライブに行った。
周りを観ると少しばかり私より上の人が多かったかも。
でも家族連れだったり若いカップルも多くずっと現役で活躍してる小田さんの凄さをこの時あらためて感じた。
私もすでにアラフォ世代。小田さんはその20年も上。
あと何回この歌声を聴けるだろうと想い、、そこから小田さんファン復活。
いちばん私がピュアだった時代の歌を聴いた瞬間、無条件に涙が止まらなかった。
まだコンサートで泣ける気持ちがあった私にもちょっと驚いた。
何しろ、1982年の伝説の「OVER」のツアーの時も1曲目から泣いてたので条件反射かと想うくらい。
時は過ぎ
いろんなコネを使うことも出来ずf^^;通常チケットを買ってみたドームのライブは小田さんは米粒状態。それでも、沢山の人を満足させようと頑張った60代前半の小田さんは足を骨折した状態でライブをしてくれ益々応援したくなった。
2011年のライブも東京ドームに観に行き、そして、昨日「どーも、どーも その日が来るまで」の最終追加公演を横浜赤レンガの特設会場まで観に行ってきた。

人生初のステージから近い席。
一緒に行っている主人をよそにかなり舞い上がって喜んだのは内緒ですf^^;

そして、なんと小田さんのライブでサイリウム?!

これは小田さんたち演者の人には内緒の演出で進められたものらしくアンコールまでずっとひた隠しに隠しておりました。
ライブが始まり、円形のステージはどのサイドの観客からも観られるように回るは、十字に作られた花道をあちらへこちらへと走るは、途中、心配になるくらいファンサービスに励んでくれておりました。野外ならではの演出も素晴らしく、シャボン玉を飛ばしたり、花火を打ち上げたり。
ステージから近い席で観られたのはラッキーだったけど、花道で小田さんからマイクを手渡され一緒に歌を合唱するというこのライブならではの醍醐味は未だ未経験。いや、イザ目の前にきたら絶対に緊張で歌えないとは想うけれど、、、とても近くで小田さんがファンに接しているのが解る演出を観る度にオフコース時代の小田さんとは違って、随分と丸くなったなぁ。。。と感慨にふけるわけです。
因に、このツアーの本当の最終公演の地は福島でした。
昨年行けなかった東北のツアーを今年ずっと周り、「その日が来るまで」という楽曲を届けたそうです。
この「その日が来るまで」という歌をこの日3回、老若男女心をひとつにあの地へ届けとサイリウムをふりながら会場で合唱。
この歌も大変いい歌でしたが、
私は1980年に紡がれた「生まれ来る子供たちのために」という歌がまるで今の日本の事を歌っているようでかなり心に刺さりました。
当時33歳の小田さんがどんな想いで創ったのかは想像も出来ませんが
私たち大人が生まれ来る子供たちのためにこれから何を語れるのか。
これからが試される。
そんな気持ちでいっぱいになっています。
最近、ライブや映画を観て感じることが沢山あります。
まだまだ、感情の泉は枯れないし枯らしたくないと強く想って赤レンガを後にしましした。
どうか、小田さんがまだまだ元気でいてくれますように。
もちろん、頑張りすぎないで欲しい気持ちもあるのですが。。。
来年も楽しみにライブ待ってます!
お留守番の多かったアーちゃんず
もうお出かけしないで〜と主人に寄りかかるアポロと

行かせなわよと私の鞄の上でスネスネモードのアテナf^^;

いったいいつになったら大人の階段昇るかにゃ〜?
本日もぽちっとよろしくお願いします!
# by wingcat630 | 2012-05-28 00:08 | つれづれ | Comments(0)



















































